安養寺は現在神戸市中央区の大倉山に位置している

 

正式名称は、大悲山安養寺

浄土宗に属するお寺



道の北側に石垣が積み上げれていて、その上にお寺がある。
北側には、運動公園があり、南側の道を少し下れば、文化ホール・体育館があり、西側にいけば神戸大学付属病院がある。
地下鉄の大倉山駅が目の前にあり、7分ほど南へ歩くとJR神戸駅があり、大変便利な立地条件である。


ただ、開山当時からこの場所にあったわけではない。
元は、尼崎の大物にあったお寺である。


安養寺は、西暦950年(天暦年)に、恵心僧都の妹(母の説もある)にあたる安養尼が建立したと伝えられている。
その後、尼崎の如来院の末寺として700年以上経過した。


時はすぎ江戸時代になり、当時の尼崎藩主青山幸利候が亡くなると、遺言により現在の場所に菩提寺として移築しました。

その頃は、現在の大倉山周辺は坂本村と呼ばれていた。
想像しがたいが、昔は須磨浦のあたりまで尼崎の領地の一部だったのである。
青山氏の勢力の強さが伺える。
青山幸利候は、楠木正成公を祭る現在の湊川神社が、当時石が置いてあるだけのような墓であったのをうれい、梅と松を植え五輪の塔を建てて供養し、没後はこの場所に葬るように語っていた。


1684年(貞享一年)に幸利候がなくなり、遺言通り坂本村に埋葬され、その後に安養寺もこの地に移された。

当寺の記録に

「元禄五年坂本村庄屋の届書  
   摂州八部坂本村  浄土宗尼崎如来院末寺 大悲山成覚院安養寺      富住持 還譽
  元禄五申年一二月一八日 阪本村庄屋  庄 右ヱ門」

という記述が残っていることからこの年代に移されたことがわかる。


1892年(明治25年)には、如来院の末寺を脱して、知恩院直末のお寺となる。


現在は、幸利候と次の代の青山幸督候を祭っている。
また「青山幸利候景仰碑」という平沼騏一郎書と伝えられている、幸利候をたたえる碑も残されている。
このことから、幸利候が地元民から大変愛されていた領主だったことが伺える。



阪神淡路大震災により、本堂は全壊、お祭りしていたお墓なども倒壊をしてしまいましたが、辛うじて幸利候・幸督候両墓石と「青山幸利候景仰碑」が残っている。



余談ではありますが、大倉山と呼ばれる楠町一帯は、安養寺がこの土地に移ってから明治に入るまでは「安養山、安養寺山」と呼ばれていました。

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